福岡地方裁判所 平成7年(行ク)1号 決定 1995年1月23日
申立人
高丘ウメ
(ほか一二名)
右申立人ら代理人弁護士
村山博俊
同右
矢野正剛
被申立人
福岡市長 桑原敬一
右代理人弁護士
稲澤智多夫
右指定代理人
岡村善郎
同右
石井昇
理由
第二 当裁判所の判断
一 認定事実
1 福岡市博多区千代住宅地区改良事業について
福岡市は、昭和四九年度から、地域改善事業の一環として、福岡市博多区所在の千代地区内にある密集した不良住宅を除去し、これらに代わる住宅の集団建設を行うことにより住環境の整備及び改善を図り、健全で文化的な生活を確保するという目的の下で、実施者として住宅地区改良法の規定に基づく土地改良事業を実施することとした。そして、千代地区は、第一期改良地区から第六期改良地区に分けられて、用地の買収や工事が進められてきたが、全体の進行状況は、第一期改良地区から第四期改良地区までの改良事業が完了し、第六期改良予定地区については用地買収が進行している段階である。本件紛争の対象となっている千代第五住宅地区改良事業(以下「本件事業」という。)については、申立人らが所有ないしは居住している別紙物件目録1ないし3記載の土地建物を含む五か所の土地建物の買収を除いては用地買収を完了し、改良住宅として高層住宅三棟(別紙図面記載の改良住宅AないしC棟)、改良店舗(別紙図面記載の集合店舗ないし店舗合計八棟)、集会所二か所が完成し、道路整備についても、別紙物件目録1記載の土地部分にかかる部分を除いて完成しており、未買収土地にかかる改良住宅である中層住宅(別紙図面記載の改良住宅D棟)の建設と道路及び広場の整備が未了の状況である。そこで、福岡市は、平成三年三月二六日起業者として土地収用法一六条に定める事業の認定を申請し、福岡県知事は、同年八月二一日右事業の認定をした。
2 本件代執行の対象となる土地建物の状況について
(一) 別紙物件目録1記載の土地建物について
別紙物件目録1記載の土地のうち、地番一一八三番一及び二は申立人高丘ウメ(現在八〇歳、以下「ウメ」という。)が、地番一一八四番及び一一八五番は申立人高丘章が所有し、その土地上にある別紙物件目録1記載の建物は右両名所有の建物であるが、一体としての建物であると認められる状態にある。ウメと申立人高丘昭月(現在七一歳、以下「昭月」という。)は、右建物において、昭和二一年一月以来薬局を経営し、現在二男や従業員一名を雇用して医薬品等の販売をして生計を立てているが、ウメは、腰痛のため通常の歩行に困難を来すこともあるという健康状態であり、申立人高丘章は、本件事業地区外に居住している。
なお、千代第五住宅地区改良事業計画(以下「本件事業計画」という。)によると、右土地は、駐車場及び道路予定地とされている。
(二) 別紙物件目録2記載の土地建物について
別紙物件目録2記載の土地のうち、地番四六二番、四六四番及び一一二四番は申立人柳内和巳(現在五七歳、以下「和巳」という。)が、地番一一二五番は申立人柳内キクヘ(現在八五歳、以下「キクヘ」という。)が所有している。右各土地上にある別紙物件目録2記載の建物の権利関係については、登記簿上の建物と現存する建物とが一致しないため、所有権関係は判然とせず、結局、和巳の実父である故柳内豊太郎の法定相続人である和巳、キクヘのほか、申立人柳内昭典、同高松利則、同柳内芳徳、同松尾澄江、同柳内弘光、同柳内豊、同吉田泰代及び同宇田幸子の全部又は一部の所有であると考えられる。キクヘ及び和巳は、右建物に居住して理髪店を経営しているものの、キクヘは、今も理髪師として稼働しているというが、糖尿病や僧帽弁不全症などの疾病に罹患して通院治療を受けているという健康状況であり、右両名を除くその余の右申立人らは、いずれも本件事業地区外に居住している。
なお、本件事業計画によると、右土地は、集会場横の広場予定地とされている。
(三) 別紙物件目録3記載の土地建物について
和巳及び申立人柳内豊は、各二分の一の持分で別紙物件目録3記載の土地建物を共有しているが、右建物に居住する者はなく、和巳が右建物において販売目的で犬の飼育を行っている。
なお、本件事業計画によると、右土地の一部は、改良住宅である中層住宅(別紙図面記載の改良住宅D棟)の建設予定地とされている。
3 本件代執行に至る経緯について
(一) 本件事業の経緯について
本件事業については、昭和五九年二月二五日に事業計画認可が行われたが、他方、昭和五五年ころから千代第五期地区住宅建設組合の組合長等による土地建物の売却等の交渉が始められていた。この間、申立人ら(特に、別紙物件目録1、2記載の建物に居住しているウメ、昭月、キクヘ、和巳)は、福岡市の担当者や右組合の役員と交渉する過程の中で、福岡市の担当者が右組合の関係者の意見ばかりを取り入れて、右申立人らの要望する内容が事業計画に全く反映されていないと主張するようになり、現在地でのそれぞれの営業の継続等を強く要望するようになった。
(二) 福岡県収用委員会の収用裁決について
起業者である福岡市は、平成四年五月二二日、別紙物件目録1ないし3記載の土地建物について、福岡県収用委員会に対して権利取得裁決及び明渡裁決の申立てを行った。福岡県収用委員会は、平成五年一月一三日から同年一〇月二二日までの間に七回にわたって福岡市の担当者及び申立人らの対席の形式で審理を行い、その間も、申立人らと右担当者間の交渉が継続されたが、結局、右交渉は合意をみず、申立人らも前記建物からの立ち退きを拒んでいた。一方、この間にも前記組合をはじめ本件事業計画の推進に賛同している者からは事業の推進を求める嘆願書や要望書等が提出されていた。右審理の結果、福岡県収用委員会は、平成六年一月一四日、別紙物件目録1ないし3記載の土地建物全部について、権利取得の時期を同年三月一五日、明渡しの期限を同年五月三一日とする収用裁決(以下、「本件裁決」という。)をした。そして、収用による損失補償として、別紙物件目録1記載の土地建物に関しては総額一億〇三四七万六一二二円の、同目録2記載の土地建物に関しては総額七七一五万四三〇二円の、同目録3記載の土地建物に関しては総額二四一一万九八二〇円の額をそれぞれ定めた。そして、福岡市は、同年三月一日から同月八日にかけて本件裁決に係る損失補償金、すなわち、ウメに対し五二八四万六一〇〇円、申立人高丘章に対し三八二四万三三二六円、右両名に対し九五四万七七一〇円、昭月に対し二八三万八九八六円、キクヘ、和巳、申立人柳内昭典、同高松利則、同柳内芳徳、同松尾澄江、同柳内弘光、同柳内豊、同吉田泰代及び同宇田幸子に対し合計二二四六万三二七〇円、和巳に対し合計四〇四四万五七八二円、キクヘに対し二六三五万六二四八円、右柳内豊に対し一二〇〇万八八二二円をそれぞれ供託した。
なお、申立人らは、本件裁決に至る経緯に著しく不公平な取扱いがあったこと、本件裁決には公共の利益が認められないこと及び損失補償額が低廉であること等を理由として、同年四月一五日、福岡県収用委員会及び福岡市を相手として収用裁決取消等請求事件を当裁判所に提起している(福岡地方裁判所平成六年行ウ第一一号)。
(三) 本件代執行手続について
申立人らは、本件裁決に定められた明渡期限である同年五月三一日を経過しても任意の明渡を履行しなかった。そこで、福岡市は、同年一〇月二五日福岡県知事に対して土地収用法一〇二条の二第二項に基づく代執行請求を行い、同年一一月二四日地方自治法一五三条二項に基づいて福岡県知事から被申立人に対して代執行権限が委任された。これを受けて、被申立人は、申立人らに対して、同年一一月二五日別紙物件目録1ないし3記載の土地建物を任意で明渡すように求めた勧告書を送付した後、同年一二月九日行政代執行法に定める戒告手続を行い、平成七年一月一〇日までに明渡しを履行しない場合には代執行を行う旨を申立人らに戒告した(以下「本件戒告」という。)。しかし、申立人らが、右期限までに明渡しを履行しなかったため、被申立人は、同月一一日付けの代執行令書をもって同月二四日から代執行を行う旨を申立人らに通知するとともに、同日付けの勧告書において再度任意の明渡履行を求めた。
なお、被申立人の代執行計画によると、別紙物件目録1ないし3記載の建物内の動産類をその隣地に一旦移転するなどした後に右建物等を取り壊すこととし、別紙物件目録1記載の建物の居住者であるウメや昭月らについては、代替住居として福岡市博多区千代三丁目一九番二―一〇〇七号を、代替店舗として同所一―一〇二号の営業用店舗を、同目録2記載の建物の居住者であるキクヘ、和巳については、代替住居として同所二―四〇七号及び二―一〇号を、代替店舗として同所一―一〇四号の理容店営業用店舗をそれぞれ準備している。
(四) 本件執行停止の申立てについて
申立人らは、本件代執行に対して、本件戒告及び右代執行令書に基づく代執行は違法であると主張してその取消しを求める本案訴訟を当裁判所に提起し(福岡地方裁判所平成七年行ウ第二号戒告処分等取消請求事件)、同時に、本案判決確定に至るまで本件代執行の執行停止を求めた。
以上の事実が認められる。
二 申立人らの回復困難な損害の有無について
1 申立人ら主張の回復困難な損害の内容をみるに、別紙物件目録1ないし3記載の土地建物の所有権が奪われ、内部にある動産の使用や従来の営業ができなくなるという損害は、いうまでもなく財産的な損害であるから、前記認定のとおり、本件裁決により申立人らに対するそれぞれの損失補償額が定められ、福岡市もこの損失補償金を供託していることをも併せて考えるならば、特段な事情がない限り、回復困難な損害が発生するものとは考え難い。もとより、申立人らは、別件の収用裁決取消等請求事件(当庁平成六年行ウ第一一号)において、損失補償額についても争っているものであるが、前記認定の損失補償額が直ちに申立人らの生活の困窮をもたらすほどの極めて低額なものであるとは考えられないので、少なくともこの点に関する回復困難な損害は存しないこととなる。
2 申立人らは、別紙物件目録1記載の建物に居住するウメ及び昭月、また、別紙物件目録2記載の建物に居住する和巳及びキクヘについて、本件代執行が行われることにより、第一に、現在地における営業ができなくなり、これまで培ってきた商売上の信用、のれん等の営業上の諸利益を失い、廃業のやむなきに追い込まれ、生活も困窮するおそれがあること、第二にウメやキクヘは高齢者である上、病気に罹患していることから、住居等を代わることによる健康上の問題が生じる可能性があることを指摘して、これらの申立人らに関しては、回復困難な損害が生じる旨主張する。
しかしながら、前記認定のとおり、右の申立人らに対する損失補償金は供託ずみであり、その金額も右の申立人らが直ちに生活に困窮する程度に低額であるとは考え難いから、右の申立人らの生活が困窮することの疎明はないものといわなければならないし、右申立人らに対しては、いずれもその近接した場所に代替店舗が用意されているところであり、右代替店舗による営業継続はいずれも可能であると認められるので、本件代執行によって、右の申立人らが廃業のやむなきに追い込まれ、生活困窮のおそれがあるとは認められないことになる。なるほど、いかに近隣とはいえ、所在地が変更することにより右の申立人らが営業上の不利益を被らないとはいえないであろうが、それも、結局は財産的な損害として損失補償を考慮するうえで配慮されるものであるから、この点からも特に回復困難な損害が生じるとはいえないことになる。また、右に指摘されたようにウメ、昭月及びキクヘはいずれも高齢であるから、長年住み慣れた住居や営業を継続してきた店舗から移転を余儀なくされることにより、同人らが多大な不便や精神的な不安を被るであろうことも否定できないところであり、特に、ウメに関していえば、その指摘のように、従来、住居と店舗が一体であったのに、準備されている代替の住居と店舗が離れていることにより、その被る不便の程度が大きいことも理解できないわけではない。しかしながら、これらの事情が存するからといって、その二男や従業員とともに行っている昭月らの営業の継続が直ちに行き詰まる状況にあるとは到底考えられない上、ウメやキクヘのそれぞれの営業における役割について、これを明確に認めるに足りる疎明は存しないから、ウメやキクヘに右のような事情があるからといって、それぞれの営業の継続について回復困難な損害が生じるとの疎明はないといわなければならない。
また、ウメやキクヘが、移転できないほどの重篤な病状であるとの疎明があればともかく、申立人らの主張及び疎明によれば、ウメは店舗に出て医薬品や化粧品の販売に従事し、キクヘは病弱ながらも現役の理髪師として稼働しているというのであるから、移動することが困難な程度に重篤な健康状態であるとは考えられず、本件代執行により、ウメやキクヘに対して回復困難な損害と認めるべき健康上の問題が惹き起こされるとの疎明は未だないものといわなければならない。
3 以上のように、本件執行停止申立ての積極要件である申立人らの回復困難な損害についてこれが疎明はないといわなければならないから、この点だけからみても、申立人らの本件執行停止の申立てには理由がないことになる。
三 行政代執行法二条所定の要件について
申立人らは、前記認定の本件事業計画によると、駐車場及び一部が道路予定地とされている別紙物件目録1記載の土地、集会場横の広場予定地とされている同目録2記載の土地については、行政代執行法二条にいう「不履行を放置することが著しく公益に反すると認められるとき」に該当しないから、本件代執行が不適法であることは明らかであり、前記の現に居住している申立人らの不利益を比較して、本件執行を停止すべきであると主張する。
しかしながら、本件代執行は土地収用法一〇二条の二第二項に基づくものであるから、その実体的な要件は、同条項に定めるように、明渡裁決があった場合において、明渡義務を負う土地等の占有者が明渡義務を履行しないか、履行が不十分であるか又は履行しても期限までに完了する見込みがないことで十分であり、申立人らが主張するように行政代執行法二条所定の要件が重ねて適用されることはないと解するのが相当である、したがって、この点に関する申立人らの主張は、採用することができない。
なお、前記認定のとおり、同目録1及び2記載の各土地は、本件事業計画において、駐車場、道路及び広場の予定地とされているが、本件事業が前判示のように地域改善事業の一環として行われているのであるから、その公益性も地域全体として判断することが必要であり、右個々の予定地の内容のみによって公益性を判断することは許されないことになる。そして、現在では本件事業は概ね完了している状況にある以上、地域改善事業たる本件事業の完成のために本件代執行の公益性は極めて大きいものといわざるを得ない。したがって、右個々の予定地の内容を基にして本件代執行の公益性を低く評価する申立人らの主張には直ちに賛同することができない。
四 以上のとおり、本件申立ては、その余の点について判断するまでもなくいずれも理由がないからこれを却下することとし、申立費用の負担について、行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条、九三条一項を適用して、主文のとおり決定する。
(裁判長裁判官 中山弘幸 裁判官 渡邉弘 鈴木博)